こったがわだより presents
多摩の昔話
4月 2003


No1/2

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 普段何気なく通っている場所に、意外な名前がついていたり、民話が残っている。
その面影が残っている場所は少ないし、聞いたことも無いという人も少なくないでしょう。
今月は「落合名所図絵 峰岸松三著」と「多摩市の地名 多摩市編」からそのいくつかを紹介します。


六部塚(ろくぶづか)
 この塚は唐木田三丁目にある東京三菱銀行情報センターの裏あたりにあった。昭和50年頃まではあったらしいが、今は造成されて残っていない。
このあたりは町田市との境界にあたり、ごみの不法投棄が多く柵で入れなくなっている場所が多い。
六部と言うのは托鉢をしながら旅をする僧のこと。

 昔、巡礼の比丘尼が里の家を訪ねてきた。聞いてみると「赤子にやる乳が出ないので食べ物を分けて欲しい。」と言うので、その家の若妻が自分の乳を絞ってあげた。
数日後、若妻の夢に赤子が出てきて「乳が欲しいので持ってきてくれ。」というので、翌朝、言われた場所へ行った。そこには赤子の姿は無く、阿弥陀仏を抱きしめて比丘尼が死んでいた。村人は気の毒に思い手厚く葬り、阿弥陀仏を持ち帰って信仰した。
 数十年後、比丘尼を探して六部が訪ねてきた。この六部と比丘尼の関係はわからないが、村人はいきさつを話し阿弥陀仏を返している。
ある晩、前と同じ夢を見たので行ってみると、六部が阿弥陀仏を抱きしめて死んでいた。
不思議な因縁に、村人は塚を築き碑を建てて葬むったので、その場所が六部塚と呼ばれるようになった


この丘にあったらしい。
探してみたが藪ばかりで何も無い。



げんごうじ・はりつけ松・怒り井戸
 多摩、八王子、町田市の境界付近にあたる。東京三菱銀行情報センターの前の交差点あたり。現在は造成されて跡形も無い。

 昔、げんごうじの谷に娘と夫婦が住んでいた。ある日旅の僧が一夜の宿を求めて訪ねてきたので、泊めてやった。ところが一夜で出て行くはずが、そのまま居ついてしまった。
そのうち僧と女房が出来てしまい、娘と亭主が邪魔になってきた。
そこで娘は嫁に出して追い払ったが、亭主はどうにもならないので、殺して裏の井戸に投げ込んだ。
しばらくは無事に暮らしていたが、長くは続かずやがて村人にばれてしまった。
村人は二人を庭の松にはりつけにして、死体を井戸に投げ込んだ。
 その後、この井戸からゴーゴーと音を立て、水が流れ出したので「げんごうじの怒り井戸」と呼んで村人から恐れられた。


六部塚の丘の上から
げんごうじ付近が見える



影取池
 この池は今の大妻女子大の構内にあたりにあったらしいが、はるか昔に枯れて干上がってしまったらしい。ここには数種類の民話が残っているが、そのひとつを紹介する。

 昔、池には一匹の竜がすんでいた。
竜は若い娘に姿を変え溺れたふりをして助けを呼んだ。
人は助けようと近づいて、影を池面にうつしたとたん引きずり込まれ食べられてしまうので、ここを「影取り池」と呼び恐れた。
 ある日、この話を聞いた旅の僧が池に向かって念仏を唱えると、一変黒雲が湧き上がり竜は天に舞い上がり消えてしまった。この後、池の中には美しく睡蓮が咲き、何事も起こらなくなった。

「多摩市の地名」にはほかに三つの話が載っているので、興味のある人はそちらをどうぞ。


禁断の地
 名前は以前から知っていたんですが、大体の場所がわかりました。
鶴牧西公園のはずれ、古民家あたりから大松台小へ行く歩道橋にかけての一帯らしい。
「このところきんだんのち、なんひともおかすべからず」の石碑があったらしいが、それらしいものは見当たりませんでした。
昔は幽霊火や人魂が出る怪奇な話が伝えられてきたところ。


この奥がそうらしいが
もはやそれらしい雰囲気も
無いことも無いと思いたい


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